2013年04月01日
豊麻神社例祭(宵祭り)
下地花火の歴史は約300年以上前にさかのぼります。東部「愛生社」と西部「教育社」に別れ、あらゆる行事に若者たちが競って参加し、花火の技術を高めていました。
明治28年日清戦争の戦没者英霊に対する、招魂祭と日清戦争戦勝祝賀会が行われました。市内の花火所の若者たちと共に招待された二社は花火を見事に奉納し、金魚花火の素晴らしさを称賛され、賞状を頂きました。
そこで下地の若者たちが一つにまとまるように諭され、社名「赤心社」と改め、力を合わせて花火のために貢献しようと誓いました。それ以来、110年以上「赤心社」の名前を引き継いでいます。現在は東部、西部、北部の3社で成り立ち、若い衆、中老、後見と約100名が伝統の手づくりをモットーに受け継いでいます。
4月第一日曜日の「竹もらい」は、平成5年に復活し、旧東海道の一部を「よ~りゃ、そ~りゃ」と独特の掛け声勇ましく練り歩きます。約10mの孟宗竹を若い衆が担ぎ後方には子供たちが引く縄が用意されています。
翌週第2土曜日には、手筒、大筒、乱玉と地元中学の川北健児による和太鼓演奏の共演が楽しめます。
翌日曜日には金色島から花火が打ち上げられ祭りの最後を彩ります。
●開催日 平成25年4月13日(土)、14日(日)
※竹もらいは、4月7日(日)
●開催場所 豊麻神社 http://urx.nu/3AN4

明治28年日清戦争の戦没者英霊に対する、招魂祭と日清戦争戦勝祝賀会が行われました。市内の花火所の若者たちと共に招待された二社は花火を見事に奉納し、金魚花火の素晴らしさを称賛され、賞状を頂きました。
そこで下地の若者たちが一つにまとまるように諭され、社名「赤心社」と改め、力を合わせて花火のために貢献しようと誓いました。それ以来、110年以上「赤心社」の名前を引き継いでいます。現在は東部、西部、北部の3社で成り立ち、若い衆、中老、後見と約100名が伝統の手づくりをモットーに受け継いでいます。
4月第一日曜日の「竹もらい」は、平成5年に復活し、旧東海道の一部を「よ~りゃ、そ~りゃ」と独特の掛け声勇ましく練り歩きます。約10mの孟宗竹を若い衆が担ぎ後方には子供たちが引く縄が用意されています。
翌週第2土曜日には、手筒、大筒、乱玉と地元中学の川北健児による和太鼓演奏の共演が楽しめます。
翌日曜日には金色島から花火が打ち上げられ祭りの最後を彩ります。
(寄稿:下地煙火保存会)
●開催日 平成25年4月13日(土)、14日(日)
※竹もらいは、4月7日(日)
●開催場所 豊麻神社 http://urx.nu/3AN4
